「今の女装男子ブームは男性の少女化が〜」と、『おとぼく』人気をジェンダーに結びつける人によく見られる法則への反論

ラブラブドキュンパックリコ - 「今の女装男子ブームは男性の少女化が〜」と、『おとぼく』人気をジェンダーに結びつける人によく見られる法則

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タイトルの例えは『かしまし』の方がよかったかしらん。


乙女はお姉さまに恋してる』とか『かしまし』は取り上げるけど、『プリティ・フェイス』(叶恭弘集英社、2002)とか『天使な小生意気』(西森博之小学館、1999)とか『あかねちゃんOVERDRIVE』(桃栗みかん*1、集英社、2002)とか『革命の日』『続・革命の日』(つだみきよ新書館、2000, 2001)とかは絶対取り上げないの法則。気のせい?


「かしまし&乙女は〜」・「プリティ・フェイス」はどれも根幹が男だけど(でも前者の作品群は読んだことない)、「女の子(※女性ではない)」になりきることで(男の自分のまま)立場的に「女の子」の中に溶け込めるんだ!という願望を描いた前者の作品群と、
外見を女にされてもあくまで自分は男性の立場でありたいし、男でありつづけようとした後者の作品はまったく違うジャンルのものだと思います。
というかそもそも「プリティ・フェイス」があるからといって、「かしまし&乙女は〜」に見える男性の少女化願望が否定されるわけがない。


以上、読んでモヤモヤしたことに対する反論でした。


でも「プリティ・フェイス」は少年漫画として読めるのに、やぶうち優さんの少女少年(2と5の父子愛描写のある部分は除く)は苦手なんですよね。
この作品の主人公だってあくまで男性の立場でありたいし、男でありつづけようとしている(女装はあくまで仕事として割り切っている)キャラクターなのに、プリティフェイスよりはかしましに近い臭い(ヲトメ男子臭?)がします。なんでだろ。