エロマンガの過激な陰部描写から見える、ホモセックスな関係

エロマンガの陰部描写が過激化するワケ - たまごまごごはん

断面図について

えろ☆ショタ3・ビンカン!おとこのこ岡田コウさんが描かれていたような、男キャラの棒が女キャラの体中に挿入されている様子を描写したもの(だよね?)

内部のヒダヒダやチ●コの反り返り具合は大げさといって間違いないでしょう。
これは写実ではなく「こうだったら気持ちいいだろう」という妄想を投影しているから。
だから内部図がグロテスクに思えても、男性の性器感覚を反応させるようなテクニックがそこには秘められています。理性の部分では「グロテスク」と感じても、本能部分、あるいは今まで経験した感覚の漠然とした「気持ちいい」をそのグロテスクな描写によって刺激するわけです。

コメント - へかーて

あれは一種の「究極のドキュメンタリズム」
なのではないかという感じですね。
あるいは『図証による超客観的強制認識性』とでもいうか。
いわば“ごまかしようのない証拠画像を突きつける”w


女性胎内への性器の挿入・射精という「行為」「現象」は
外からの絵ではその『実態』そのものは決して「見る」=認識する
事は出来ません。
挿入されている入口部分が見えるだけで、それがどうなっているのかは
あくまで(視覚的には)「想像する」しかないのです。
それを「断面図」という“あからさまに客観的な図表化”によって
まぎれもなく視覚化し認識させる事で「今まさに入ってる!!射精(で)てる!!!」
という“事実”を脳内に、というより「観念の上で」強烈に、
強制的に認識させる・・・・・

これは(主に少女漫画で)キュンとした時に背景トーンでムードを出したり・花を散らしたり・ハートに矢を刺させたりする視覚化の手法や
(BLやTLに良く見られるような)受(女)の立場からはわからない攻(男)の「すき」を体現させるために、無理やりレ/イ/プさせる手法(攻「受のことがすきだから止まらなかったんだ。遊んだわけじゃない」→受「攻も自分(受)のことがすきだったんだ!これって両想い!?」→ハッピーエンド)の類なのでしょうか。

ふたなり・女装少年・ショタ

肥大クリなんかも同様、女性の感覚はまったく理解できないため、男性感覚に置き換えるシステムを作っています。

これはたぶんふたなりふたなり×女)だけじゃなくて女装少年・ショタ(男×ショタ)にも該当するはず。

lainの極私的独白 : ぷる萌えンジェル アイドルあいこ - livedoor Blog(ブログ)

例えばCAGEなどのエロゲーでは妹属性を持った弟キャラが出てきて、女装した弟とのHシーンもありますからね。ただしその場合、アナルファックとして描かれ、ペニスではなくアナルに擬似的な処女性をまとわせることのほうが多いと思います。
(中略)やはりCAGEのショタキャラはオトコノコではなくオンナノコであり、ユーザーはヒロインたちのアナルに処女性を、ペニスに少女性を違和感なくまとわせたうえで記号的消費を行っているのだ。

ふたなり・ヤンデレ・ツンデレ・ショタ・百合・やおい等、性的倒錯の構造まとめ - 萌え理論Blog

ショタはベースが少年で精神的に少女であり、ふたなりはベースが少女で肉体的(性器的)に少年だ。

おとこの娘(男×ロリショタ、男性×ふたなり)作品の場合は基本的に男性向男×女作品と同じで、男性(攻)の存在が希薄・メインは受のふたなり/おとこの娘という構図。
読み手が感情移入する男性キャラとセックスしている女性側の快感度をわかりやすくするために、男性と同じ構造をもつ男性器が描写される。ただし、あくまで受の立場は男ではなく女であるために男性器以外の多くの部分に女性的な要素が必要となるという感じ。これはなんとなくわかる。


ふたなりふたなり×女)作品や女装男子女装男子×女)作品の場合(読んだこと無いけど)は、最近わーわー言っているヲトメ・女装男子の「女の子(※女性ではない)」になりきることで(男の自分のまま)立場的に「女の子」の中に溶け込めるんだ!」という願望の延長線上にあって、
「女の子」の気持ちはわからないけど自分の身体にあるものがあれば大丈夫!これでぼくも女の子!しかも女の子とセックスしてるぞ!みたいな感じなんでしょうか。


ついでに、最近搾乳エロの男性向ショタ同人誌を読んで、女性にとって男性向け同人ってどう思うのか?:アルファルファモザイクにあった母乳は射精のメタファー(隠喩)っていうのがすごくよくわかりました(笑)そう考えると受の乳首も男性器の隠喩になるのかな。


このあたりはBL/TLにおける愛の隠喩としてのセックス(レ/イ/プ含む)や、女性器の隠喩としてのやおい穴や、男性的とされてしまう萌え・性欲・征服欲(極端に言うと○○たん御菓子たいハァハァみたいな感じ)の隠喩としてのやおい棒に似ている気がします。

レズビアン的な関係を描く801と、ゲイセクシュアルな関係を描くエロマンガ

受攻がはっきりしていない・挿入行為が一般的ではないゲイセックスと801が全く関係の無いものである点についてはすでに様々な指摘があって、むしろゲイセックスよりは受攻がはっきりしているレズビアン的な関係に近いのではないかという言説をときどき見ます。
私はレズビアンではないので真偽はわかりませんが、たとえばアイドルや少女漫画に出てくるイケメン(笑)は男性というよりはアスリートなどの鍛えられた女性に近いものがある気がします。
理想としての男性像、自分の中にある男性的な部分の隠喩としての男性像を攻に託していると考えると、801は自分×自分となるから、レズビアンに似た関係と言われるのもなんとなく納得できる気がします。


同じように考えると、逆に男性向作品はゲイセックスに近いなと感じます。
男性向け作品って、セックスというよりは互いに自慰行為をして報告しあっている感(もちろんこれもセックスですけど)があるんですよね。あくまで挿入行為は比喩であって、実際にはチ●ポしごき合ってるだけじゃん!みたいな。
さっき、女の感覚をわかりやすくするためにふたなりにしたり女装少年にしたりという話が出ましたが、むしろ逆なんじゃないか、同じ男に欲情するために女性的記号をまとわせているんじゃないか。受が女キャラであっても、単に外観を女性的記号で囲んだだけで実質は男性なんじゃないかと思いました。


よく「女にチ●ポつけただけ」と言われるCAGEヒロインなどのロリショタヒロインの性格だって、現実味の無い男の人の理想の女の子像だと思いますし、
なぜか最近ブームにされている「腐女子(オタク女性)」も、男性がオタク男性に萌えるために、外観を女性的記号で囲んだものだとすると、「腐女子(オタク女性)」が腐女子ではないことも納得できます。
男性に人気のあるアイドルが男性の理想である女の子像を演じていたり、男性に好まれる嗜好を公言したりしているのは、これを逆手にとったものではないでしょうか。
逆に男性向で好まれるファッションが現実の流行と大きく違うのも、男性の理想としてのキャラクター≠現実の女性をあらわすいい例だと思います。
また女装趣味の男の人やネカマの人は変身するとき過度に女性的(?)になる人が多いそうですが、やっぱりこれも「ぼくの理想の女性像」を再現した結果ではないでしょうか。


こう考えると、男性向け作品もえろ・非えろにかかわらず、ホモソーシャルホモセクシュアルな要素が根幹にあるんだなと思いました。
もちろん同じ男性向でもジャンルによって嗜好が違うわけだから、単純に性別に基づくものではなくて、本当は自己愛に基づくものだとは思うのですけど。