検索避けは性的表現の自由を否定しますか? - 続・腐女子を「萌え」の対象にする、男の“暴力”に堪えられない!2(追記あり)

ジャンル離れもあって長い時間が空いてしまい、エントリの予定を忘れてしまっていたのですが、
言及されていたエントリが考えをまとめるのに面白そうなので取り上げることにします。

自分のトラウマに直撃したので言及します - 試作型思索と詩作

さて、先方のエントリ(+言及された私のエントリ)を解釈する場合、大きくふたつにの項に分けられます。

  1. 男性の性的暴力(not表現)だけを糾弾しているのか?
  2. 検索避けは性的表現の自由や性的欲求自体を否定するのか?

男性の性的暴力だけを糾弾しているのか?

そもそもタイトルの時点で「男の●●に堪えられない!」ですし、最初のエントリの時点では男性性嫌悪についてのみ取り上げるつもりでしたので、

自分のトラウマに直撃したので言及します - 試作型思索と詩作

そうやって「男性の無自覚な性的消費こそが女性への暴力」とか突きつけられるのはキツイです。
だって、男性として生きてるだけで、あるいはオタクというだけで、「加害者」に固定されてしまうのですから。
エロや性的なものに対して、そこまで神経質になって、後ろめたいものを感じなければならないのなら、僕は自分の事を大嫌いになってしまうでしょう。
(略)勝手なレッテルを貼る人々に怒りを感じるのは分かりますが、「勝手なレッテルを貼る人々」と一括りにして、オタクを論じる事も、勝手なレッテルを張る行為ではありませんか?

この言及に対しては謝罪いたします。申し訳ございませんでした。


やおいオタク女性に対する性的消費は何も男性のみ(もしくは男性オタクのみ)に限られたことではありませんし、
「男性の無自覚な性的消費こそが女性への暴力」だから男性だけを糾弾したいんだ!と述べているわけではないので安心してください。
(前に書いたエントリで、もっと女性側からの性的消費について言及した方が伝わりやすかったでしょうか)


性的な表現をぶつけられる側にとっては、性的な表現をぶつけてくる人間の性別がどうであれ、同じようなカテゴリに分類されると思います。

検索避けは性的表現の自由や性的欲求自体を否定するのか?

エロや性的なものに対して、そこまで神経質になって、後ろめたいものを感じなければならないのなら、僕は自分の事を大嫌いになってしまうでしょう。
実際に、それで対人恐怖や女性恐怖に陥りかけた事もありますし。
(略)「傷付いた」と主張されて、傷付く人も居ます。
結局、主張や表現は常に誰かを傷つける可能性を秘めています。
極端に言えば、表現とは暴力です。
けれど、それで、あまりにも傷つけることに神経質になってしまったら、何も表現できません
自分が以前書いた上記のエントリのコメント欄でも、「多少の傷つきくらいはお互い大目に見る社会」「誰かを傷つけているという罪の意識をそれぞれが過剰に感じない世の中」という言葉が出てきていますが、そうやって互いの表現を受け止めることに余裕のある世の中が表現には必要だと、今でも自分は思っています。
そのために、ゾーニングが必要という意見もあるでしょう。
けれど、表現者と、その表現を受け取る側に、今よりも、後ろめたさを持たせてしまうような方法には自分は賛同できません。


さて、先ほどは「男性だから」という理由で性的表現を糾弾している訳ではないと書きました。
ですから、これから扱うのは(というか元々扱っていたのは)「性的表現をする男性」ではなく「性的表現をオープンに行う人間」についてです。


まず“性的”表現に対する規制についてですが、私はゾーニングそれ自体が表現や表現者に責任を気負わせるものであるべきだと思います。
ただし、その責任は男性性(つまりあなたにとっての自己)という内面に基づくものではなく、それを見るかもしれない不特定多数の相手に対しての責任であるべきだと思います。


そして、その責任は「後ろめたさ」ではなく、むしろドレスコードのように「同類の伝えたい人に対して表現しているんだ!」という誇りであってほしいと思います(伝えたくない人に対して見下すようになると逆に困りますが)。
そのためのゾーニングであってほしいし、個人レベルでも(例えばネットなら)各ページ冒頭の注意書きは必要だと思います。


そして、その「誇り」から行う好意が、逆に見たくない人に対する好意にもなると思います。


失礼ですがエントリを拝見したところ、内面に内面に内面に向かっていっているような印象を受けました。(お前が言うなって感じですが)
それでは例え私をはじめとした他人がゾーニングや男性性への糾弾を止めたとしても、性的表現に対しての後ろめたさは消えず、楽しいと思えることがないのではないでしょうか。

追記

取り上げたのに関連づけるのを忘れていたので追記です。


今回の言及先を読んで、前に百合や女装趣味のある男性について、こんな事を書いたのを思い出しました。

ふたなりレズや女装男子ものは、男性版やおいなのかもしれない(21日加筆)

男性向作品に出てくる恋愛に絡むキャラクター全てが「男性の本質に女の子の要素をかぶせたキャラクター」(=「身体的にも「夢見る少女」になってしまいたい。同一化したい。オタク的に言えば、萌えキャラクターとの同一化願望。」)なのだとすると、
やはり「「自身が男性であること」自体を否定しようとしている」というのは適当ではない。
むしろ、自身が男性であることをより強固に肯定しようとしているのではないでしょうか。


(略)「夢見る少女になりたい」「女の子になりたい」と願う男性が一番に思うことは、やはり多数のヘテロ男性と変わらず「かわいい女の子とお近づきになりたい」のようです。
男性としての自分に揺らぎを持つ(らしい)男性ファンは、自身の男性器を自分からは見えないようにし、更に自身に「女の子」を擬態させる(=男性の性役割から逃避する)ことによって、
「女の子から好まれる外見・性格になって→女の子と仲良くなる(当然恋愛や性行為も含む)」という、男として叶えたかった欲望を消費しているのだと思います。

言及先の方が百合を楽しむ方かどうかはわかりませんが。
男性性の忌避と男性のプライドのバランスが言及先のような感じになっていると、女装嗜好や百合に走るのかなーと思いました。


女装・百合嗜好男性についてはだいぶ見えてきて距離を置けるようにもなったので、正直かなり楽になりました。


あとは男性×ショタor女装系で受側に感情移入する男性オタからどう切り離すかですねー。
嗜好の違いについては 「女は体売れば金になるんだからいいよなー」とかうそぶく男性が毎日新聞問題をセクハラとして認識できない3つの理由と、少年ジャンプが女性向に偏る理由エロマンガの過激な陰部描写から見える、ホモセックスな関係で掴んではいるはずなので、もう一度考え直してスッキリさせたいです。